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印象深いところは、尾崎放哉の俳句に「表現に見離され、失語に陥りかけていた」ところを救われたと吐露し、また、歌人岡井隆の「男歌」に魅了されたと語る「うた」の章において、社会学者やフェミニストという立場を越えた、「文学」あるいは「言葉」と対峙する個人としての著者が立ちあらわれている点である。作家作品主義に阻まれた既存の文学評論や、男性中心社会を敵視する旧来のフェミニズム批評からも飛翔した本書は、『成熟と喪失』が著者の言うように「同時代の文学を論じて時代と社会の深みにとどく文明批評」であるのと同じ意味で、優れた文芸時評として成立している。
『男流文学論』は、著者が語るように「フェミニズム批評が『文壇』という池に投げた石」であった。本書はひとりの人間として上野千鶴子が文壇に投じた一石である。(中島正敏)